史上最良の戦車、T-34の後期型となるT-34-85を紹介します。
ドイツ軍に”T-34ショック”を与えたT-34/76から装甲も、火力も強化したタイプです。
合計で50,000輌以上も生産されたT-34シリーズの中でも、うち2万輌以上がT-34-85となっています。生産性も向上しており、初期のT-34/76と比較して生産コストも3分の2になりました。派生型だけでも2万を超える生産数は流石ソ連。
この T-34-85は生産から70年経った今でも、紛争地で見かけることができるほど世界中に広まった戦車でもあります。
1/144(144分の1サイズ) T-34-85
大きな数でまとまって運用されたT-34-85。実際に1/144サイズだと塗装済完成品が集めやすいこともあって実際に戦場で運用された姿を再現することできます!
数が集まると圧巻ですね。
1/144サイズの塗装済み完成品は、ワールドタンクミュージアムをはじめ多くのブランドから販売がされています。中古ショップでも良く見かけることができますよー^^
T-34-85の開発の経緯
1942年以降、大量のT-34-76が戦場に現れ重火器の必要性が増したため、ドイツ軍は強力な75mm対戦車砲を多数配置するようになり、1943年までの対戦車砲の主力となりました。
また、1942年末頃 – 1943年中ごろに至るまで、ドイツ軍は強力なティーガーⅠ重戦車およびパンター中戦車を配備し始めた。この事情によりT-34-76から装甲と火力を強化したT-34-85が開発されることとなります。
T-34-85の性能(スペック)
世界最良の戦車に恥じず、走・攻・守ともに優れたパフォーマンスを出すことができました。事実上のドイツ軍の主力戦車であるⅣ号戦車よりもパフォーマンスが高く、パンターと比較すると多少劣っている形です。
火力 :★★★★☆
防御力:★★★☆☆
機動性:★★★★★
火力
T-34-85の主砲、85mm砲は2,000mで84mm、1,000mで103mmの装甲を貫通することができ、これはドイツ軍の主力Ⅳ号戦車はもちろん、1,000m先であればティーガーⅠ重戦車も撃破できる火力でした。ただ、同時期にドイツ軍が投入してきたパンターの傾斜した80mmの前面装甲の貫通は多少難しく、側面から攻撃する必要がありました。
防御力
T-34-85の最大装甲厚は砲塔90mmでした。Ⅳ号戦車やパンターの主砲であれば1-1.5km先からでも貫通可能であるため、防御力としては十分とは言いがたいものの、数で圧倒することを優先したソ連軍から見ると大きな問題とはならず、終戦までこの装甲厚で生産が続くこととなります。(兵士の評価は別)
機動力
T-34-85の速度は、1世代前のタイプと比較して多少劣ります。しかし、それでも十分な速度を発揮でき、最高速度は整地で54km/h、不整地であって20-25km/hを出すことができました。
T-34-85の戦歴
第二次世界大戦
1944年初期から前線に登場したT-34-85は、ドイツ軍の事実上の主力戦車であるIV号戦車よりも装甲や機動性において優れていたが、パンターよりも攻撃力、防御力が劣っていました。ただ、生産性の高さと、ソ連の工業力から、T-34はパンターのよりも多く配備することができました。しかも、性能が劣っていると言えど、練度の高い乗員と戦術的な条件が整えば、T-34-85によってパンターを撃破できました。
大戦でT-34-85が最も活躍できたのは、1944年のバクラチオン作戦です。ソ連軍によるドイツ軍への反攻作戦で、1週間に700kmという早いスピードでドイツ占領地へ進軍しました。この戦いにおいて、T-34-85の快足性が活かされました。
朝鮮戦争
ソ連軍では、T-54が登場するまでT-34-85が主力戦車であり続けました。ソ連以外でも輸出されて各紛争地で使用されることとなりました。
1950年6月の朝鮮戦争でも、北朝鮮軍の侵攻の先鋒は約120輌のT-34-85を装備した 機甲師団でした。朝鮮戦争において、T-34はアメリカ軍のM24軽戦車、M4シャーマン中戦車、M26パーシング中戦車と戦闘を行っています。
特に、朝鮮戦争では山がちな地形から接近戦が多く、次のような戦闘例が多くありました。
霧にまぎれた北朝鮮軍のT34-85戦車が、M26パーシング戦車を至近距離で攻撃。パーシング中戦車も50m、20mそれぞれで2発の砲弾を発射し、いずれも砲塔付近に命中させたが、T34にとって有効打とはなりませんでした。そのままT-34は突進し、主砲を連射しながら猛然と体当たりし、お互い主砲が打てない距離までくっつきます。
そこでパーシングがT34の後ろに回ろうとし、主砲が撃てるように両者の距離があいたところで第3弾を発射。弾丸はT34の主砲に直撃し主砲は使用不能となりました。T34は再び猛然と体当たりをかけてきましたが、パーシングは少しさがって第4弾を発射し、T34を撃破しました。この間、パーシングは数弾直撃しましたが、その鋼板はT-34-85の全弾をはね返しました。
「朝鮮戦争史」より一部抜粋
朝鮮戦争初戦では、北朝鮮軍のT-34-85中戦車はM4中戦車等を相手に優勢だったものの、アメリカ軍がM26パーシング中戦車を投入したこと、航空機による地上爆撃、そしてアメリカ軍歩兵のバズーカにより、T-34は各個撃破されることとなりました。流石に開発から6年以上経っていたため、優位なまま進めることが難しかったようです。
1950年8月になると形勢は国連軍に有利となり、アメリカ軍による反撃で補給路が断ち切られ、北朝鮮軍の機甲兵力と歩兵には物資が補給されなくなりました。その結果として北朝鮮軍は退却を余儀なくされ、多くのT-34と重火器が放棄された。合計で239輌のT-34と74輌のSU-76が失われ、その後、北朝鮮軍の戦車を集中運用した活動自体が稀となりました。
その他
また、T-34は中東戦争やベトナム戦争、チェコ事件、ソマリア紛争、中越戦争など、1970年代になっても各国で使用されます。中東戦争では、エジプト軍が魔改造したT-34が戦場で活躍しました。
1/144 T-34(122mm砲搭載型)
特に中東では最近も使われていて、イラク軍は1990年代初期までT-34を使用、2015年から内戦状態に陥ったイエメンでも、T-34-85が目撃されています!最近でも使用されるほど、扱いやすく傑作戦車だったことが伺えます。